2008年8月16日

ノン・バイオ生命観

「カオスから秩序が生まれる。それがアミノ酸ベースの場合、生命という。」

押井守監督のスカイクロラが人気だ。その押井監督の出世作"Goast in the Shell"に登場する"人形遣い"は、自らを「情報の海から生まれた生命体」と称している。

なるほど生命の発生だって、アミノ酸リッチな海から偶然発生したのだ。情報の海からだって生命に相当するシステムが発生しても何ら不思議は無い。

似たような出来事は現在の社会で起こっている。

動画投稿サイトから生まれた、"初音ミク"である。初音ミクはボーカロイドと呼ばれる音声合成ソフトのキャラクターだ。作曲した曲を、彼女が歌ってくれる、という設定になっている。発売当時はただのキャラクターで、動きもせず人格も無い。ただの二次元の一枚画だった。

ところが、だ。

動画投稿サイトに彼女の歌が投稿されはじめ、アニメーションまで投稿されはじめる。最初は"なんでもあり"感が強かったが、次第に一定の特徴を持ち始め、いまや初音ミクは今や人格を持った存在になった。本人は勿論実在しない。が、実在する以上に人としての存在感を持っている。

情報の海から生命は生まれ得る。その生命は実存しないだけで存在するのだ。

実存は意味をなさない。地球には六十億人の人間がいるそうだが、その内一体何人に会ったのだろう?実存する六十億人全てより、実存しないが存在する人を強く感じたことはないだろうか?例えば、現在存在しない織田信長のことを、現在存在するウガンダ在住のンカタタ・エモ(36)よりよく知っていることは無いか?

生命は、アミノ酸カオスが引き起こした奇跡である。情報化社会のカオスからも生命のようなシステムが生じることは不思議ではない。そのベースになるのは、単純命令。その組み合わせの妙が、複雑で強靭なシステムをつくる元になるだろう。