2008年6月8日

技術と論文と特許

特許とは単品では空虚な存在だと思う。

研究者からしてみれば「特許なんて」という程度のものでしかない。論文に比べれば、そこには技術的中身が無いからだ。そう、単品では意味をなさない。では昨今、なぜ特許特許と騒がれている?

技術的な真実は必ずしも社会の真実ではない。技術の真実を社会の真実の形に落とし込めたものが特許なのかな、と感じる。技術の社会的な記録。「特許なんて」いづれ陳腐化するものだが、社会もそれに同じ。人間社会は永遠ではない。

…なんだか少し疲れ気味。考えもまとまらないや^^;