2008年3月8日

科学に夢を持つ

+++ NHK期待外れだ +++

日本の学力低下についてNHKで議論をしている。議論は横から見ていると迷走しているように見え、結論には至らないどころか議論が深まる気配すらない。とりあえず、"○○が悪い"という意見しか述べていない。意見を反映させるのではなく、とりあえず自分の意見を言うだけ。時間の無駄だ。楽しみにしていただけに非常に残念。

+++ 学力低下、私観 +++

学力低下=思考力、論理構成力、想像力の低下=科学的素養の低下。さて、自分が思うに学力低下の原因は。(日本では特に)科学に対する夢が無い。政治の中心に科学がわかる人が少ない、生涯年収も低い(らしい)、テレビでは科学的な議論がなされておらず、情緒に訴えるような論理が展開される。そういった科学から遠ざかる状況が日本国内に氾濫している。これでは科学の醍醐味を理解できないだろう。日本は科学を重視していないようだ。そんな国の教育を受けていて、科学的素養が身に付くだろうか、身につけようと思うだろうか。

やっぱり問題なのはテレビかな。どうも胡散臭い。一般の人に対するインプットの根源じゃないか?インターネットが悪いという意見。だが、インターネットでは自主的にしか情報がやってこない。人々はテレビによりまず選択肢すら奪われているように思われる。携帯電話が悪いという意見も挙がった。だが、携帯電話のような表面的コミュニケーションのネタソースはテレビの場合が多いのでは?表面的コミュニケーション自体は特に悪いとは思わない。問題はソース。テレビは科学的な話題の面白み、深みのダイナミックレンジが低い(多分、制作者の科学的素養が(以下略))。それを元にした人々がコミュニケーションをしたところで、科学的思考に関して進歩が望めない。

先生の人間的レベルが低い。今まで本当に"先生"と呼べる人にあったのは、全て学校の外だった。これは偶然ではないように思う。学校には"先生"と呼べるほどの人間がいない。先生が生まれる制度に問題があるだろうな。先生のインプットもテレビの場合も多く、レベルがたかが知れてる。

+++ じゃあ学力上げる? +++

だが、日本はこのままでいいと思う。学力は低下しても構わないと思う。日本人らしい情緒は失うには惜しい。学力、科学的素養が犠牲になっても仕方が無いのではないか。科学技術の向上、そればかりが国力を上げる手段では無いはずだ。日本で科学を勉強してきた者として残念に思うが、日本ではそれほど報われない。さっさと別な国に行きましょう。

ただ全世界的に見ても、現在科学に割り当てられている役割(一般的な認識)は、環境問題、省エネ、再生医療とかディフェンス的役割しか残されていない。攻めるのではなく、マイナスを埋める作業しか残されていないという意味で。科学はプラスを伸ばすことだって出来るんだから。

つまらないよなぁ、こんな世の中は。後、10年くらいはこんなものかもしれない。こればかりは仕方ない。

やっぱり生まれ変わるなら宇宙開発大競争の時代。まさに攻めの科学の時代。生まれ変わるなんてナンセンスだから、攻めの科学が熱くなる時代が来るのを待とう。これから面白いのは脳科学とコンピュータ技術の融合分野かなぁ。Googleが写真データの集積で疑似地球を再現しているあたりにはワクワクしてしまう笑 その疑似空間と人間の認識をどうつなげるか、これは面白くなってきそうだ。いわゆる映画Matrixの世界。


今回の記事は構成がめちゃくちゃだ笑
自分にとっては最大の関心ごとなので、今度またちゃんと書き直そう。。。